【短編小説】ふくしゅうのおにごっこ
【お題:鬼ごっこ】
むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんと暮らす青年がいました。
青年の母は、病床に伏せていて、高価な薬が必要でした。
青年の父は、少しでも金払いの良い仕事のために、出稼ぎに出ていました。
青年も、同じように働きに出ていましたが、とある事情により、実家へ帰ってきていました。
「母よ、薬だ。これを飲んで、はよう元気になれ」
「いつもすまないねえ」
青年の母は、弱弱しく笑いました。
おじいさんもおばあさんも青年も、よく働きましたが、その日暮らしていくので精一杯。
一方で、母は少しぐらいなら歩けるようになり、回復の兆しが見え始めていました。
――もう少しで、すべてが良くなる。
青年はそう思いながら、毎日、目いっぱい働くのでした。
けれども、ある日、その希望が潰える知らせがありました。
それは、青年が薬屋から帰る道でのこと。
一人の男が、大声でなにやら喧伝していました。
「鬼ヶ島のやつらが全員殺されたらしいぞ! 4匹の畜生にやられたそうだ!」
青年は、耳を疑いました。
「父さんが、死んだ……?」
青年の父は、鬼ヶ島へ出稼ぎに行っていたのです。
青年は、男に詰め寄ると、胸倉を掴んで怒鳴りました。
「おい、その話は本当か!?」
「ほ、本当だ。さっきカラスどもから聞いた。犬と猿と雉と人の4匹に、鬼ヶ島にいた連中がみんな殺されたって。あまりに無残な光景だってもんで、カラスどもでさえ近づきたくないってよ」
青年は男を放すと、家まで走りました。
――なにかの間違いであってくれ。
しかし、その願いは、叶いませんでした。
家に帰ると、青年の母は死んでいました。
その傍らには手紙が二通。
一方が父の死亡通知書、もう一方が母の遺書。
「これ以上、迷惑をかけられません。夫の後を追います」
青年……青い肌の鬼は、激高しました。
それは、これまでに感じたことのない、沸騰した感情でした。
――いまの俺ならば、地獄の血の池だって蒸発させられるだろう。
青年はそう思いました。
その感情に応えるように、彼の青い肌は、燃えるような紅蓮へと変貌していきました。
そこへ、おじいさんとおばあさんが血相を変えて飛び込んできました。
その惨状を見て、彼らもまた、怒り、悲しみ、髪を逆立て怒鳴りたてました。
三人の鬼は、殺戮の限りを尽くしたという4匹を呪いました。
しかし、いくら言葉にして、絶叫しても、乾燥してヒリヒリとした気持ちが晴れることはありません。
「よし、俺がその4匹を殺してくる」
おじいさんとおばあさんは大いに賛成して、青年に武器と食料を与えました。
おじいさんはいつも亡者をぶちのめすのに使っている金棒を、おばあさんは仕事場からくすねてきた人間の肝を渡しました。
「憎き畜生どもを、この地獄に連れてきておくれ」おじいさんが言いました。
「息子と義娘の仇じゃ、血の池に沈めて、針の山にくし刺しにしても、まだ足りぬ」おばあさんが言いました。
青鬼改め、赤鬼は、その日のうちに出発しました。
――この怒りを、力いっぱい、畜生どもの脳天に振り下ろしてやらねば、気が済まない。
父と母の無念を思えば、彼の烈火のごとき肌は、一層輝きを増すのでした。
◎
鬼が海岸沿いを歩いていたときでした。
「道行く赤鬼よ、我が復讐に力を貸してはくれまいか」
一匹の白兎が、鬼に声をかけました。
「私はこの海にいる鰐どもに騙され、あやうく命を落としかけたのだ。もし、復讐に手を貸してくれるのであれば、貴殿にお供しよう」
白兎の目は、鬼の肌と同じ色に燃えていました。
「よし、ならばこの肝を食らうがいい。精がつき、復讐を果たすことができるだろう。俺もまた、父と母の仇討ちに行くところだ」
白兎は肝を食うと、さっそく鰐を皆殺しにしました。
海は、鰐の血で染まり、どす黒くなりました。
その光景は、復讐に燃える赤鬼に、鬼ヶ島の惨状を連想させます。
――殺そうとするならば、殺される覚悟が必要だ。
鰐どもはきっと、兎ごときに自分たちが殺されるなどと、夢にも思わなかっただろう。
なんたる不公平。
「許されていいものか」
鬼と白兎は、人間の村へと急ぎます。
◎
道中、鬼と白兎は、猿が臼につぶされて死ぬのを見ました。
聞けば、猿が蟹の母を殺したので、その報復に力を貸したのだそうだ。
「こいつ、鬼どもを殺したとか言って、えらぶっていやがったよ」
それを聞いた鬼は、感情のままに、その亡骸に金棒を振り下ろしました。
怒気を帯びた上腕が脈打ちます。
けれども、煮立った感情は、まったく静まる様子がありませんでした。
「猿は、いつも南西から来ていたよ。その人間も、そっちにいるんじゃないかな」
鬼は礼を言うと、その方角へ歩みを進めます。
◎
とうとう、鬼は、父親を殺した人間の家にたどり着きました。
家の玄関には雉がいましたが、鬼の一振りでぐちゃぐちゃになりました。
「雉も鳴かずば撃たれまいというが、鳴く前に死におったぞ」
白兎が軽口を叩きます。
――所詮、他人事か。
鬼は白兎の目から、自分と同じ感情が消え去っているのに気づいていました。
すると、物影から雉が殺される様子を見ていた犬が、こっそりと兎に近づき、その喉元に食らいつきました。
白兎の喉から、温かい血が噴き出します。
鬼は、兎もろとも、犬に金棒を振り下ろしました。
「犬も歩けば棒にあたるってな……」兎は最後にそう言って、死にました。
「も、桃太郎……!」
犬が死ぬ間際に絞りだした声に反応して、家の中から一匹の人間が現れました。
その男は大柄で、眼光鋭く、抜身の刀を構えていました。
鬼は、こいつが父を殺した張本人だ、と直感しました。
「鬼がなんの用だ」桃太郎が問いかけます。
「俺は、お前に殺された数多の鬼のうちがひとり、左之助の息子である。父は、我が母の病を治すため、身を粉にして働き、もう少しでそれが叶うというところで、殺されたのだ。お前に父の無念を分かるか?母の無念が分かるか?この肌を見ろ、元は青色だったのに、怒りで真っ赤に燃えている。この感情は、お前を殺さなければ、決して消えはしないだろう。さあ、祖父から託された金棒を受け取るがいい」
鬼はそう言うと、全身に力を込めました。
怒張した赤い体躯からは、熱が噴出し、辺りが焼けてしまわないのが不思議なくらいでした。
「待て。もとはといえば、お前の親父が悪いのだ。我らが財を盗み、命を奪った。先に仕掛けてきたのは鬼の方だと聞いている。それを、主が恨むのは筋違いであろうが。どこに正義がある?正当性があるか?」
鬼は一瞬、言葉に詰まりました。彼の記憶の中の父は優しく、そんなことをするとは、とても思えなかったからです。
「……いや、違う。どちらが先だとか、そういう話ではないのだ。正義など、どこにもない。俺にも、お前にもな。ただひとつ真実があるとすれば、俺の怒りが本物だということだ。この怒りを止められる道理など、存在しないのだ」
「……ならば仕方あるまい、お主に殺されよう。だが、私以外の人間には手を出さないでくれ。復讐は、私と、お供の命で、十分果たされたであろう」
桃太郎は刀を手放し、長い息を吐きました。
赤鬼は雄叫びを上げました。
怒りのままに振り下ろされた金棒は、桃太郎の脳天を突き破りました。
「地獄で、待っているぞ」そう言うと、桃太郎は死にました。
「……地獄で待っているのは、俺のじいさんと、ばあさんだ」
血濡れの赤鬼は、仇敵の亡骸を見下ろしながら、怒りの代わりに湧いてきた感情の正体を掴めずにいました。
「なにをしている!」
その声にはっと振り向くと、そこには一人の赤鬼と、人間の女と子供がいました。
「お父ちゃん!」
人間の子供が叫びました。
復讐を終えた赤鬼は、呆然自失としていましたが、ふと我に返ると、その場から逃げ出しました。
もう一人の赤鬼は、逃げた殺人鬼が元は青鬼で、自分のために泥をかぶってくれた親友だとは、気づけませんでした。