創作のための映画と読書まとめ

当ブログは「良き創作は良き鑑賞から」をモットーに、鑑賞した映画と本についてまとめておく目的で設立されました。同志よ集え!

『セブン』の感想と考察|あまりにも猟奇的で、ありふれた世界の描写

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本作では、あまりにも猟奇的な殺人が、次々に起こる。

 

犯人は異常だが、決して愚かではない。計画的な殺人なのだ。

 

その異常な犯人を、正義の刑事が追い詰める……というような、単純な話ではない。

 

そうだ。狂人による、ただグロテスクなだけのサスペンスではない。

 

これは立派なホラー映画である。

 

フィクションとしてみていたはずの世界が、我々の世界と地続きであることに気づいたとき、あなたは恐怖するだろう。

 

見どころは、何といっても最後の場面だ。

 

このシーンに至るまで、ただ犯人捜しをしていた私は、本当に愚かだった。

 

 ここから逆プロットによるストーリーの整理をしたうえで、感想を述べたいと思う。

 

ネタバレを多く含みます。未視聴の方は、ぜひ一度、本編を見てきてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

ロット

 

本作を逆プロットした。はしょった部分が大事なやりとりだったりしたので、不完全。

 

ところどころ私の感想も入っている。

 

続殺人と「七つの大罪」

 

定年間近の敏腕刑事サマセットと、新人刑事ミルズが出会う。

 

次々と猟奇的殺人事件が起こる。

 

内臓が破裂するまで無理やり飯を食わせられたデブ男が、暴食の罪で殺される

 

荒稼ぎしていた弁護士が強欲の罪で殺される

 

ここで、どうやら犯人は「七つの大罪」に沿って殺人していると分かる。あと5つの殺人が起こる。

 

サマセットが、図書館で調べ物。7つの大罪について調べる。カンタベリー物語、神曲など。

 

「なぜ文化に囲まれてポーカーなんてしているのか?」という問いに、

 

守衛たちは、「文化は尻から出る」と答える。

 

サマセットの教養の高さと、一般人の愚かさを描いている。

 

ミルズの妻の誘いで、三人が食事をする。

 

ここで、サマセットとミルズの間に信頼関係が生まれる。

 

麻薬中毒者が怠惰の罪で殺される。なんと、1年も前から痛めつけられていた。

 

破;人鬼の正体と異常性

 

FBIと裏取引をして、図書館で借りた本から、犯人の部屋へたどり着く。犯人の名はジョン・ドゥ

 

その場では取り逃がす。犯人に銃を突きつけられるが、ミルズはなぜか生かされた。

 

犯人ジョン・ドゥの部屋へ入る。十字架や、ぎっしりと書かれたノート200冊。

狂人の部屋のデザインに圧倒される。

 

実は、オープニング映像で使われているのは犯人ジョンの下準備の風景だった。

 

指紋をカミソリでそぎ落とすシーンは、音楽の不気味さと相まって、背筋が凍る。

 

バスタブにミルズの写真が浮いていたことから、犯人が記者になりすましていたことが分かる。

 

一応、先に犯人は出ていた。サスペンスのお約束は守られた。

 

娼婦が色欲の罪で殺された。槍みたいなもので貫かれる。

 

女優が高慢の罪で殺された。鼻を削がれ、かつての美貌の見る影もない。

 

残る罪は、嫉妬と憤怒。

 

急;後の審判

 

ジョンが自首してくる。取引しなければ精神病を主張し、取引するなら罪を認めるという。

 

サマセットとミルズは、ジョンを連れて荒野に移動する。

 

移動中、ジョンとミルズによる問答が行われる。

 

荷物が届く。

 

荷物の中身はミルズの妻の首だった。

 

怒りにとらわれるミルズと、制止するサマセット。

 

「殺せばこいつの思惑通りになるぞ!」

 

しかし、サマセットの説得むなしく、ミルズがジョンを射殺。

 

嫉妬の罪でジョンが死に、ミルズは憤怒の罪を背負った

 

底にあるテーマ

 

サブプロットとして、刑事ふたり、ミルズの妻との交流がある。

 

その中で議論されるのは「世の中の是非」だ。

 

ミルズの妻から電話がかかってきて、サマセットに、「子供を産むのが怖い」と言う。

 

「こんな世の中に生まれてきて、子供は幸せなのか?」と。

 

サマセットも昔、子供を産ませなかった、と語る。

 

そして、その選択は間違っていなかった、と言う。

 

二人の共通理解として、「世の中は恐ろしい」というものがある。

 

サマセットとミルズのやり取りは、ミルズの妻とのそれとは違う。

 

サマセットは犯人のことを「説教者」と呼び、ミルズは「異常者」と呼ぶ。

 

ミルズは世の中に対し楽観的だ。世の中の正義を、自分たちの正しさを信じている。

 

対して、サマセットやミルズの妻、ひいてはジョンにも通じてあるのが、「厭世観」である。

 

登場人物のやり取りの中で、ミルズだけが無垢であることが強調されている。

 

そして、最後の審判の場面へと繋がる。

 

 

全ては、最後の場面に至るまでの前座である。

 

憤怒にとらわれたミルズの、苦悶のシーン。

 

すべてはそこにつなげるための伏線である。

 

映画全体のテーマは、「厭世観」だ。

 

殺された犯人たちは、全員が無実。「法的」には

 

ただ、被害者たちは本当に「無実」なのか

 

ジョンは問いかける。

 

「強欲のために強姦魔を世に放つ弁護士は無実なのか? 食べてばかりで何も生み出さないデブは無実なのか?」と。

 

 

ミルズだけが厭世観を持たないから、それを真っ向から否定できる。

 

「お前の行いは、せいぜいワイドショーのネタだ」

 

「二か月もすれば不思議なことに、みんな忘れているんだ」

 

ジョンは、ミルズに向かって、「尊敬するよ」と言う。

 

それは、最後の審判に至るまで、ミルズが無垢なままだったからだ。

 

ミルズは、サマセットにも、「お前はウブすぎる」と言われている。

 

全体を通して、ミルズは「厭世観」と対立して描かれる。

 

さらに、罪に問われているのは、被害者だけではない。

 

サマセットはミルズに対し、「愛は努力がいる」「無関心が一番楽だ」と説く。

 

こんな世の中である。誰もが、罪を背負っているのではないか?

 

序盤中盤を通して、「世の中は腐っている」ということと、

 

それを打ち破る可能性を秘めた、無垢な勇者としてミルズが設定される。

 

あるいは、世の理に気づかない愚者である。

 

しかし、最後の場面で、穢れのない身だったはずのミルズが、「憤怒」の罪を犯す。

 

締めくくりは、ヘミングウェイの「世界は素晴らしい、戦う価値がある」という引用にに対し、サマセットが「後半は賛成だ」という言葉で終わる。

 

この言葉は、前者を否定して「世の中は腐っている」と言いたいのか?

 

もしくは、後者に賛成して、「世の中は腐っているが、戦っていかなければならない」と言っているのか?

 

結末だけ見れば、「無垢の敗北」と、「世の中への否定」のみが残っているような気がする。

 

とても、世の中に戦う価値を見出せないのだが、どうだろうか。

 

翻って、我々は、誰もが罪を犯して生きている世の中に住んでいるのだ、ということを考えさせられる。

 

それが「正常」な世の中だとすれば、ジョンのような男だけを「異常」だ、と言えるのだろうか。

 

教訓:ワンシーンのために世界を構築する。

 

   主張したいテーマ・概念と、対立構造を作る。

 

   その二つが争うとき、テーマを集約した、印象的なワンシーンになる。