日本の店員はもっと接客で手を抜いても良いのではないか、ということについて。
日本の店員は愛想が良すぎる、という言説を目にすることがある。
海外に行けば、店員はもっと無愛想で、ドライなのだという。
もちろん、日本はこうで海外はこうだ、という大雑把なカテゴライズはナンセンスである。
だが実際、日本で住んでいると、接客されたときに、店員が無愛想だということは少ない気がする。
むしろ、横柄で無愛想なのは客の方で、そんな客に対しても、腰を低くしていなければならない店員の皆さまには頭が下がる。
丁寧すぎる接客は大変だから、もっと日本の接客もドライにしても良いのではないか、という意見もある。
確かに、接客においてニコニコしているのは大変だし、疲れる。相手が横柄であるのに、なんでこっちはニコニコしていなければならないんだ、と怒りを覚えることもあるだろう。
私も、接客で心労を貯めてほしくないから、もうちょっとドライにしてもいいのではないかと思い、概ね賛同していた。
しかし、私のその意見に一石投じるような出来事があった。
というのも、私は実際にドライな接客を受けて、少し嫌な印象を受けてしまったのである。
その店は小さな靴屋である。店長らしき人と、店員が二人ほど、品出しやら検品やらをしている。
私はそこへ入店するわけだが、まず、「いらっしゃいませ」の声掛けがない。
この時点で、少し違和感を覚える。
そして、靴を見て、試着してみても、特に店側のアクションはない。
まあ、服を見ているときもそうだが、物色しているときに店員に声をかけられると気まずい感じがして苦手なので、これに関してはありがたいと言えばありがたい。
ありがたいのだけれど、こう何も反応がないと、「ここにいてもいいのかな」と不安を覚える。
色々と思案してから、買う靴を決めて、レジへ持っていく。
この間、結局、店側から私への行動は、何もなかった。まさしくドライな接客である。実際に体験してみると、あまり気分は良くない。
しかし、ここで、印象ががらりと変わる出来事があった。
レジでは、これまでと打って変わって、愛想良く対応してくださったのである。
なるほど、この店は、自由に出入りして、自由に選んでもらう、という方針だったのだ。
だから、「いらっしゃいませ」も言わないし、いちいち話しかけてくることもなかった。
選んでいる最中は無言だった店長らしき人も、店を出る際には、いい笑顔で「ありがとうございました」と言ってくださった。
最初は違和感を覚えたものの、最後に「ありがとうございました」があるだけで、客は気持ちよく帰れるのである。
だが、もし私が何も買わずに店を出た場合、ただ印象の悪い店だった、という記憶が残るだけになってしまう。
これが、店員はもっとドライでも良い、という意見に疑問だと言った理由である。
もはや、日本の素晴らしい接客に慣れきってしまっていて、少しでも愛想が悪いと、「印象の悪い店だ」と思ってしまう。
そうなると、損をするのは結局のところ店側になるので、「ドライな接客にする」という方針に、簡単には切り替えられない。
文明の利器に慣れると原始の生活には戻れないように、接客の質に関しても、今さら落とされても、客側も困ってしまう。
仕方がないので、店員に対して、もちろん丁寧に接するようにしてきたのだが、これまで以上にへりくだって接しよう、と思った次第である。
結局、質の良い接客にあやかって付け上がる、不届きな客がいるのが、一番の問題なのだ。