【創作】物語るためのアイデア出しの方法を紹介する本の紹介
「物語る」=「創作する」という意味で使っています。小説に限らず、漫画でも、脚本でも、自分の考えた物語を形にすることです。
なぜ人は物語りたくなるのか? それは、自身が物語に魅入られたからに違いありません。
野球少年がプロ野球選手にあこがれるように、素晴らしい物語に触れて、自分もこんな物語を紡いでみたい、と思うことは自然で、当たり前のことです。
しかし、いざ自分で書いてみようとすると、なかなか書けない。
原因は色々とあるでしょう。
その中でも、まず最初に取り掛かるべきは、「作品に関する知識」不足の解消だと言えます。道具がなければ野球はできませんし、具材がなければ料理はできないのと同じで、物語るための材料がなければ、なにも書けません。
では、ただ漠然と、とにかく作品に触れていればいいかというと、そうではありません。
もちろん、暴飲暴食、濫読もダメではないのですが、良く味わって、分析をして物語を吸収する方が、物語るうえでは為になります。
それでは、「なぜ物語るためにはインプットが必要なのか?」「どういう方法でインプットすればいいのか?」を、見ていきたいと思います。
インプットなんか、しなくても書ける?
「私はそんなことしなくても書ける」という人がいらっしゃるかもしれません。
たしかに、そういう方もいるでしょう。『リアル鬼ごっこ』などで有名な山田悠介も、自分が作品を作るまで、本なんか読んだことがなかったと言っているらしいです。
ただ、それよりも圧倒的に、「いいから作品に触れろ」と言ってる人の方が多いです。
小林秀雄は、「作家志願者への助言」の中で「常に一流の作品に触れろ」ということを言っています。「良いものに触れることで悪いものが分かるようになる」とも。
現状でも書けないことはないでしょう。しかし、自作をよりよいものにしたいと思うならば、インプットを大切にするべきです。
大槻ケンヂも、「たくさんも見たから書けた」と言ってますね。
基本的に、人は自分の中にある以上のものを外に出すことができません。材料がなければ料理できないのと同じです。この世界では質量保存の法則が働いていますから、謎の力が覚醒する、なんてことは、フィクションの中だけです。
運動のパフォーマンスを上げるために筋トレをするのと同じで、物語るためにはインプットが必要なのです。
他作品からの影響が怖い?
他作品に触れることで、「自身のオリジナリティがなくなってしまう」ことを憂慮される方もいるかもしれません。
簡単に答えを言えば、「その心配は不要」です。
小林秀雄は「一流作品の影響を恐れるな」と言ってます。
また、手塚治虫の『ファウスト』など、ほとんどそのまま、オマージュとして作品にしてしまっている。それをさらに改変した『ネオ・ファウスト』は、インプットしたものの変形の例として優秀です。未完なのが残念で仕方ない。自己流に変換さえなされていれば、それは立派にオリジナルな作品です。
他にも、芥川龍之介が『今昔物語』や『宇治拾遺物語』の作品から題材をとってきているのは有名な話です。そこにオリジナリティは、ないのでしょうか。愚問ですね。
古来、作品は他作品からの影響から生まれているのです。
結局、オリジナリティとは「自分の味付け」であり、うまく変換することできれば、いくらでもオリジナリティは生まれます。変換が足りず、ほぼ同じになってしまうと、パクリと言われます。しかし、パクリとオマージュ、そしてオリジナリティの境界線は、実は曖昧なものです。
キャラクターなどを自分流に変換する方法は、大塚英二の『キャラクター小説の作り方』や『キャラクターメーカー』に詳しいことが書いてます。
また、ヤングの『アイデアのつくりかた』にもあるように、優れたアイデアは既存のものの組み合わせから生まれます。経験のないところからは、なにも生まれません。
恐れることなく、どん欲に吸収しましょう。
インプットの方法
手塚治虫は膨大な作品数を誇りますが、それと同じくらい、たくさんの作品を見ていたのは間違いないです。書く以上に見ていたということですね。それは、作品自体からも、作者のエッセイなどからも伺い知れます。エッセイを見ても、作品に対し、しっかり分析していることが分かります。
『虐殺器官』などの著者である伊藤計劃も、映画に対し鋭い批評をしています(本人は批評ではないと言っているが)。
つまり、優れた作家は、優れた審美眼をもって作品を見ているのです。
では、具体的にどうすればいいのか?
それは、尾崎将也『3年でプロになれる脚本術』に詳しく書いてあります。インプットは、この本に載っている方法を実践していけば良いと思います。タイトルは怪しいですけど、書いていることは至極真っ当です。筆者は『結婚できない男』を脚本した方で、信頼できると思います。『結婚できない男』は、日本のドラマでトップ級の作品ですからね。恐縮して拝読すべき。
本書は、アウトプットの前にはインプットが重要だと説き、それは客観視するためだと言います。客観的な目線とは、「どうすれば面白いのか?」という視点です。初心者の多くがこの視点に欠けており、そのため、他人が読むと面白くないものになるのだ、と言います。
だから、インプットするうえで意識するべきは、「こうだから面白いのか」と分析しながら見ることです。どうすれば面白くなるのか。そのテクニック、ノウハウを見つけ、吸収するのです。
セリフ、キャラクター、ストーリー、構成、小道具などの、「個別の面白さ」はもちろん、「全体の流れ」も分析する必要があります。
そうして、「魅せる技術」を蓄えること。それがインプットするということです。
バットをやみくもに振るよりも、研究し、正しい振り方を身に付けるべきなのと似ています。
例えば、死亡フラグは、有名になりすぎた「魅せる方法」として紹介されています。「これさえ乗り切れば幸福になれる」人が、死んでしまうところに、ドラマが生まれる。言ってしまえば「上げて落とす」というテクニックです。これが多用された結果、「死亡フラグ」という名前がついてしまったわけです。
「死亡フラグ」ほど有名ではない、意識化されていないテクニック・ノウハウを、見つけ、身に付けるのです。
「物語全体の流れ」を分析するためには、ハコ書きが有効だとされています。こちらの雑誌では、逆プロットと紹介されているものです。この公募ガイドでは、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が逆プロット化されていて、分かりやすいです。私はこれを参考にして、他の映画記事で逆プロットに挑戦しています。これがなかなか難しい。
「魅せる技術」の一部をまとめたものとして、髙崎卓馬『表現の技術』が挙げられます。この本のように、魅せ方を結晶化し、自分のものにしていくというのが、インプットに必要な事柄ですから、参考になります。最近文庫化したので、手に取りやすいです。
一流の作品から吸収する
先に引用した小林秀雄の助言にもあるように、インプットするなら、「一流の作品から」にするべきです。
「なぜその作品が面白いのか」を分析するわけですから、「面白い作品」を見ないと意味がありません。もちろん、良い作品が分かれば、「なぜ面白くないのか」も分かるようになるでしょう。
「3年でプロになれる脚本術」でも、洋画、邦画に分けて、観るべき映画を挙げてくれています。
私は、死ぬまでに観たい映画1001本を全部観るという目標を(一応)掲げていますが、正直そこまでする必要はないと思います。その時代でしか面白くない作品も載ってるでしょうし。目標はあくまで目標である。
まとめ
・優れた作品は、優れたインプットから生まれる
・他作品を見ても、オリジナリティは失われない
・インプットは「なぜ面白いか」を意識して行う
・インプットは一流の作品から
ちなみに、以上のようなことを継続して行うために、本ブログは立ち上げられました。映画の記事は、基本的に「面白さの分析」を行ったものです。
私の映画分析など、まだまだ足りないものだらけですが、継続こそ力であると信じて、続けていきたいと思います。