読書の実況中継① 名倉編『異セカイ系』
名前だけ見て気になったけど買わなかった本を、思いきって買いました。途中まで読んだ感想をつらつら書きます。
結論は↓
流行に乗っかっただけの小説ではございません。本の題名だけを見て読まないのは損です。
文体もすごい独特です。パラっとめくってみて、そっ閉じしてしまいそうになるかもしれませんけど、思いとどまるのがいいでしょう。
口語体というより、思考体というか。頭の中で無軌道に飛び回り起き上がる言葉をそのまま写し取ったような文体です。関西弁だし、一言だけの感想がポンポン出てくるし。本当に、独り言を言ってるみたいな感じ。
はじめて舞城王太郎を読んだとき、怒涛の文体に圧倒されましたが、それにインスパイアされてるのは間違いないでしょう。
同じメフィスト賞だし、作品に名前出てくるし。
内容としては、主人公が自分の書いた小説の世界に入り込んでしまって、筋から離れた行動をしたら闇に飲まれるというもの。
べたやなあ、と主人公自身もつっこんでるあたり、この小説の根幹「メタ」が効いてる。
本書の真骨頂は、現実と異世界を瞬間移動できることにあって、どうやって異世界を守るのか、というところに焦点がある。異世界の中で筋を変えることはできないが、現実に戻れば書き換えることができる。
自分の書いたキャラクターが死んだり、尊厳を踏みにじられたりすしないように、制約がある中、切り抜ける。
キャラクターだからといって、ラッキースケベなんか起こしたらあかんし、屈辱的とも言えるセリフを言わせてはいけない!と主人公は自分を罵倒しながら切り抜けようとする。
私は、そんな主人公の設定に違和感を覚える。
自己満足のために、キャラクターとはいえ、もはや実在するものを踏みにじってはいけない。真理である。けれど、人はそんなきれいじゃない。そこに葛藤があるはずである。
自分がうまい汁を吸いたい欲求と、それはいけないことだと思う倫理感がせめぎ合うはず。
しかし、主人公は迷わない。そこには、一切の葛藤が描かれていない。むしろ、過剰なまでに、キレイゴトを重視する。
これは一種の風刺なのだろうか。私利私欲に作品世界を作るなんて、あってはいけない。この倫理観は欲求なんかよりも、はるか上に位置する価値観で、そんなものに揺さぶられること自体があり得ない。
だが、一般的読者は、そんな発想には至らない。私のように、少なくとも葛藤ぐらいはあるはず、と思う。つまりこれは、葛藤すら許しがたい悪であるという、断罪なのだろうか。そのために、葛藤は描かれていないのだろうか。
異世界に入り込める人物は主人公だけではなく、他にもいるのだが、そいつらも、主人公と全く同じ倫理感を持っていて、私利私欲に使う人物は、今のところ出てきていない。
もしくは、単純にそうした方が物語の接続がよくなるから(余計な描写を省いただけ)なのか。そこは、これから明かされるのでしょうか。
現在167ページ目まで読んで、あと半分くらい。メタの使い方が秀逸で、思わず、今読んだところまでの感想を書きました。
あんまり言ったら、良くないだろうから、ぼかしておきます。「におわせ」も嫌な方は、これから先は読まない方がいいかも。
「描かれないことは、存在しなかったことになるということ」は、歴史もそうだけれど、言語世界では重要なことで。「描かれていない」と指摘すれば、その「描かれていない」ことが急速に起き上がってきて、そこに戦慄するわけです。推理小説なんかでやるのはタブーですけれど。こういうメタの入った小説では、効果的ですね。
結局何が言いたいかと言うと
以上、主人公の動機に違和感はあるけど、その設定(とくにメタの使い方)と物語の筋が奇抜で面白い、という話でした。
↑続き。