『ボヘミアン・ラプソディ』の感想と考察|「孤独」と戦った男に熱狂し、共感する
話題の映画を観てきました。
Queenの曲自体は(ジョジョ経由で)知っていましたし、好んで聴いてました。
ただし、歌詞の意味はよく知らず、ただメロディやリズム、フレディの透き通った声が好きだっただけです。深いところまでは知らなかった。
しかし、『ボヘミアン・ラプソディ』を観て、Queenを知り、フレディ・マーキュリーを知ってから、流れる曲を聴くと、また違った味わいがありました。
映画の中のフレディが、その生涯を通し、「孤独」と戦っていたことを知る。そして、曲もそれに関連しているものが多いことが分かります。
フレディは、インタビューの中で、「本当の友達はいない」と語っていました。劇中でも、同様の言葉がありました。
あれだけのファンに囲まれながらも、彼の心は満たされなかった。
ライブの中で、あれほどの一体感を得てなお、満たされない心がありました。
生まれや宗教、セクシュアリーにおいてマイノリティーであったことが、その孤独の大きな要因であったことは確かでしょう。しかし、それだけではないはずです。
なぜなら、「孤独」という問題は、マイノリティーだから発生するのではなく、私たち全員が当然に抱く問題だからです。
彼の孤独は、彼にしか分からない。当然です。こんな映画で分かった気になることも、失礼でしょう。
ですが、私たちは、究極的には、全員が「孤独」です。心を完全に通わせるということは不可能だからです。
どれだけ友達と楽しく遊び、言葉を交わそうとも、どこかに不信感があり、寂寞の砂漠が心のうちに存在している。
だから、「彼の孤独」は分からなくても、「私の孤独」を知ることはできる。そこから、「彼の孤独」に共感することができる。
人々はお互いに、本当の自分を知ってもらうことはできない。相互理解が完全になることはない。皆が等しく「孤独」であることを、フレディが教えてくれる。
そして、それでも「愛」を歌うフレディの曲に、皆が心を打たれる。
みんなが孤独なんだ、と知ることで、一体感を感じることができる。逆説的に、皆が孤独でなくなる。
誰しもが「孤独」であるからこそ、Queenの曲は刺さるんじゃないかなあ、と私は感じました。
もちろん、フレディの苦悩を見て「あれは俺だ!」と思って、完全に理解した気になって、最後のライブシーンで全てが好転し、昇華されたと思い込む見方も、アリ。
深く考えずとも、Queenの曲が名曲であることは、昔の私が知っています。
「誰も通ってない道を行く」姿に感動するのもアリ。実際、自分が病に侵されていようと、ファンの求めるフレディをパフォーマンスし続けた姿は、感動的です。
とにかく、これからは「孤独」を感じたときに、Queenが傍にいることを思い出せる。それだけで、見てよかったなあ、と思います。